03
自分の人生は自分のために在るべきだ。誰かに指図されること無く、縛られることなく。
「…どうしたんだい、その顔は」
だけどそれが、俺一人の理想論であることは痛いほどわかっていた。
開口一番不愉快そうな声を出した冴木に、俺は少し笑った。最近の自分は、なんだかネガティブになりがちだ。
「…調子良さそうでなにより。さっきも下で社長の会社の人に挨拶受けたよ。…ちょっと働き過ぎじゃないか?」
冴木はリクライニングしたベットに寄り掛かり座っていた。薄い患者服から見える真っ白な包帯が痛々しい。
まぁそれでも、点滴もカテーテルも酸素マスクも外れたし、最初の頃に比べれば随分軽装になったものだ。
その長い過程を思い返して、俺は少し微笑ましくなった。
「…ハァ…少し雑務におわれていてね。その報告を受けたところだ。…でも大丈夫。うちの社員はみな優秀だからね。必ずや僕の期待に応えてくれることを確信しているよ。上司と部下の信頼関係は時に一番の武器になるからね。その点、君と僕はすでに十分な信頼関係が築けたと自負しているよ。どうだろう、うちに来る決意は固まったかな?」
持って生まれた美形に、拍車をかけるようなキラキラとした笑みも、包帯だらけの患者服じゃあ、迫力に欠ける。
やっぱり冴木には、あの嫌味なくらい仕立てのいいスーツに身を包み、背筋を伸ばして立っていて欲しい。
俺はくすりと笑った。
「それはまじ勘弁して」
「む。僕は至って真面目に交渉しているというのに、君はいつも同じように僕を…」
「まぁまぁ、まずは社長が元気にならないことには始まらないしー?」
「……う、うむ…そうか」
「そうそう。健康第一ってね。みんな心配してるよ。早く顔くらい見せてやんなよ」
「……ああ。わかっているよ」
思い詰めたような瞳をする、冴木の想いが俺には手に取るようにわかった。
同じだ。彼を心配したのと同じように、俺は冴木を心配している。冴木の人格が壊れてしまわないか、適応出来るか、この世界でみんなと再会した時、彼は…
「…レミくんの話は、今日はしないのかい?」
思考を遮られ、俺は一瞬反応することが出来なかった。
「……レミくん?」
…なんで今、レミくんの話?
首を傾げれば、冴木は眉を顰めた。
「……まさか、気付いてなかったのかい?君は見舞いに来るたび嫌味なほどに彼の話をするじゃないか。病床の僕に熱烈なノロケ話を聞かせたくて来ているのかと思っていたよ」
クックックと堪えるように喉で笑われて、俺は柄にもなく呆けてしまった。体温が上昇する。
ひどい誤解だ。しかしそれを言い訳がましく弁解するのも気恥ずかしい。よって俺は黙りを決め込む事にした。
「まぁ君が、…もちろんそれだけの為に来ているとは思わない」
そらしていた視線は、あっという間に冴木に戻る。冴木は穏やかだった。穏やかに、すべてを受け入れようとしていたんだ。
きっとずっと前から、
「…感謝してる。これ以上ないほどに。………拓都」
ひとりで。
「………冴木…」
差し出された右手を見ると、今度は俺の方が崩れ出してしまいそうだった。
疑ったことが無いとはとても言えない。…言えなかった。
俺は冴木を疑った。
心の中では全員を疑い、
可能性を導き出して…、
そうして帰ってきた。
俺たちは帰ってきたんだ。
「…僕で力になれることがあるなら、なんでもしよう。最近の君はらしくないね」
俺の右手と、冴木の右手が繋がっている。冴木の真っ白で小さな手。生きている人の手。奇跡の生還を遂げた、俺の友人の、大きな掌だ。
…きっと俺の悩みなんて、実にちっぽけなんだろうなぁ。
答えが知りたいとは思わない。
泣きつきたいわけじゃ無いんだ。
「…おれね…、」
勇気なんてものは要らない。
必要なのは、冴木を信頼する心だけだ。
今大切なことは、話の中身じゃない。
「…、……会社を立ち上げるのは、大変だっただろう?」
「なんだ改まって」
「いや、本当に手に入れたいものこそやけに遠く、儚く感じられるものだから…」
「…それを言うなら、草野俊太郎という名前を得ることも同じだろう。僕も君も、情熱があった。貪欲だった。…それだけだ」
らしくないと言った俺を、気遣ってくれているのか。冴木の答えは簡潔で、俺の胸にスッと入ってきた。
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